将来の不安はないけど過去の失敗を掘り起こして自己嫌悪は死ぬほどある
こんにちは
今回は本当に思っていることをダラダラ書きます、正直最後の行だけ読んでくれればOKです
今回もタイトル通り、僕はなぜか将来に対しての不安はあまりありません
お金が無くなったらどうしよう
仕事を首になったら・・・
などなど、こういうことがなぜか不安要素に上がってこないのです、もちろん今まで実家でぬくぬく育ってきて金銭的不安に駆られたことがないからだと思います
親に感謝です
しかし、僕は過去の失敗を掘り起こしてまで思い悩む癖があります
これがかなりやっかい。
どうでもいい事、気にする必要もない事、とりこし苦労
これらに憑りつかれて生きています
何度も考えないように考えないようにと暗示にかけてみましたが治りません
だから鬱になったわけですが。
おそらく世界には一杯いろんな人たちがいて
過去の失敗をすぐ忘れて切り替えられる人
僕と同じように過去の失敗をいつまでも悔やんでる人
将来への不安に駆られてるけど過去の失敗はすぐに忘れられる人
将来への不安も過去の失敗も悩みまくって生きてる人
いろんな人達がいると思います
過去の失敗を悔やまず、すぐ切り替えられる人はくよくよする人の気持ちがわからない
かもしれません、しかし過去の失敗を悔やんでたけど工夫して過去の失敗を悔やまなくなった人は過去の失敗を悔やむことに悩んでる人に対して優しくなれるはずです。
僕はそうなりたいです
なってみないとその人の気持ちは分かりません
多少イメージできることはあると思いますが、心の底から共感し、相談に乗ってあげられるにはやはり過去の自分がそうでないと相談に乗ってあげられないと思います
そこで僕はこう思います
やはり、足りないものは結局人生経験
経験不足が原因なのではないかと思う
いろんな人の気持ち、悩みが分かるようになるためには実際に自分がその人になってみる
家無し、無職、1文無しの人の気持ちは家無し、無職、1文無しになってみないと分かりません。
これになろうと言ってるわけではないです、しかしその人の気持ちを知るためには自分が
その立場になるしかないということです
いろんな人の気持ちを知るには経験が必要です
成功しかしたことのない人は挫折した人の気持ちが分からない、だから優しい人になることができない
優しい人を取り繕うことが出来ても、本当に心の底から優しい人になるためには人生経験を積むことなんだと思います
と、鬱病になってめそめそと都会から田舎へ帰ってきた僕に対して父から教わりました。
父よ、ありがてえ
そんなのあたりまえじゃんと思う人もいると思います、というより僕の年齢に近い人、もちろんそれ以上の人はそう思っていると思います。でも23歳になっても僕はこれに気が付きませんでした、これに気が付けたことが今回の進歩だということで今回の鬱病休職は終わりにしようと思います。
別に鬱病になって休職しろと言ってるわけではありません、なってみて初めて分かること、ということがあることを伝えたいのです。たまたま僕が鬱病休職という挫折だっただけです・・・
まあ実際鬱病休職なんて恥ずかしくて死にそうですが
でも今回で少し強くなった気がします、気がするだけでまた鬱病になるかもしれない
でも僕は将来に対する不安を感じにくい人なので「またうつになったらどうしよう」とは悩みません
ここまで長ったらしい文章を思うまま書いてきましたがこれが実際今の僕が思っていることです、面倒なので文章の見直しもしません
が、
最終的に言いたいのは
「その人の気持ちを知るためにはその人と同じ状況になるしかない、そしてそれは経験であり、何事も経験するしかない、経験すれば経験しただけ人は人に対して優しくなれる」
でFA
では